趣意書
 
 田辺から那智まで(地域的には新宮までの枯木灘・熊野灘沿い)の海沿いの熊野往環道「大辺路街道」。黒潮洗う海岸線は中央から隔離されたもっとも不便な地域であるが反面、開発からは逃れ、照葉樹林が主体のこの海岸林はこの地域独特の景観を形成し、全国でも有数の海岸美を誇る。

 しかし古道は早くから破壊された。車の普及と共に次々と道路は改良され海岸の道は改修が重ねられた。鉄道の普及は遅かったが敷設場所が限られた地であったから古道も利用された。よって海岸に沿う「磯道」は早くから国道に改修され、峠を越える道はその役目を終えて草木に埋もれた。

 そんな大辺路を探し出す人間がいた。やがて、その活動に理解者が現れ、輪は大きくなった。2004年7月7日、世界文化遺産「紀伊山地の霊場と参詣道」の一部として大辺路から富田坂、仏坂の日置川町側、長井坂が登録された。残念なことにそれ以外の道は往年の姿を留めている場所が多々あったにも関わらず、世界遺産登録はならなかった。
 
 世界遺産にならなくても地域の宝物に変りはない。すさみの難所馬転坂や串本の平見を超える道は次々と往年の姿を現した。那智勝浦町にはほぼ完全な姿で古道が残っていた。磯道は磯歩きでつなぎ、大辺路街道は次第につながっていく。「熊野古道 大辺路刈り開き隊」は大辺路街道の復興を念じてこれからも動き続ける。道はきっと地域の連携を生み、「大辺路の力」を示してくれる。

 これからもますます大辺路が面白くなる。世界遺産もラムサール条約湿地登録の確実な珊瑚礁域も“熊野の森”照葉樹林も清流もすべて役者。こんな素晴らしい地域「大辺路」を世界に伝えたくて「刈り開き隊」は歩み続ける。

 このWebサイトは大辺路刈り開き隊の活動と大辺路の魅力を紹介し、歴史遺産の発掘と保全に役立てることを目的として開設した。新たな情報の交流が熊野古道大辺路を愛する多くの個人と団体に利用され、役立つことを願っている。

                         2005年 7月 吉日




トップに戻る