平成19年11月25日 国際熊野学会 熊野大会研究報告 辻田友紀 |
1、 参詣道 大辺路の現状 田辺市北新町道標(中辺路分岐)⇒那智勝浦町浜の宮 約92km 広義の大辺路は新宮市域まで。更に13km延長 総距離105km 世界遺産登録⇒富田坂、仏坂(西牟婁郡白浜町)長井坂(同すさみ町) 資産の総距離10km 資産面積1.8ha 高野坂(新宮市)は中辺路の資産として登録 A【国道42号線と本来の古道が重複していると考えられる箇所】 ○ 西牟婁郡白浜町庄川(しゃがわ)〜同町富田(高瀬地区) ○ 西牟婁郡すさみ町周参見(大串の浜近辺) ○ 西牟婁郡すさみ町見老津駅〜見老津集落間 ○ 西牟婁郡すさみ町里野「宇の平見」〜「大平見」近辺 ○ 東牟婁郡串本町和深雨島〜熊谷 ○ 東牟婁郡串本町田子〜江田〜田並(田の崎) ○ 東牟婁郡串本町有田(入谷〜有田) ○ 東牟婁郡串本町逢坂峠出口〜東雨〜高富 ○ 東牟婁郡串本町古座川河口〜田原川河口 ○ 東牟婁郡串本町田原〜那智勝浦町境界 ○ 那智勝浦町浜の宮〜大狗子峠入口 ○ 那智勝浦町白菊の浜〜小狗子峠入口 ○ 那智勝浦町宇久井〜新宮市境界 ○ 西牟婁郡上富田町峠〜朝来駅手前 B【市街地等となっており古道の経路が判然としない箇所】 ○ 田辺市北新町〜同市新庄町馬坂近辺 ○ 西牟婁郡上富田町櫟原神社〜白浜町北富田 ○ 東牟婁郡串本町姫〜西向〜神野川 ○ 東牟婁郡那智勝浦町駿田峠下り(新宮側)〜浜の宮 ○ 新宮市佐野・三輪崎地区 ○ 新宮市広角〜南谷墓地〜速玉大社または神倉神社まで C【古道が現存する箇所】 ○ 西牟婁郡白浜町安居辻松峠〜三ヶ川 ○ 西牟婁郡白浜町安居(安居坂)通行不能 ○ 西牟婁郡すさみ町域の仏坂 通行不能 ○ 西牟婁郡すさみ町馬転(うまころび)坂(途中切断) ○ 西牟婁郡すさみ町タオ峠〜和深川 ○ 西牟婁郡すさみ町和深川地区内 ○ 西牟婁郡すさみ町「スリの浜」岩礁海岸 ○ 西牟婁郡すさみ町里野地区内(海岸ルートあり) ○ 東牟婁郡串本町和深地区内(石畳残存) ○ 東牟婁郡串本町田子地区内(石畳残存) ○ 東牟婁郡串本町田並地区内(石畳残存) ○ 東牟婁郡串本町有田地区内 ○ 東牟婁郡那智勝浦町清水峠〜浦神駅付近 ○ 東牟婁郡那智勝浦町浦神峠〜庄 ○ 東牟婁郡那智勝浦町市屋峠〜与根河池近辺 ○ 東牟婁郡那智勝浦町二河地区 ○ 東牟婁郡那智勝浦町駿田峠近辺 ○ 東牟婁郡那智勝浦町大狗子、小狗子峠 ○ 東牟婁郡那智勝浦町宇久井地区(出見世〜新宮市境界 ※ 那智勝浦町内は比較的残存率が高く、連続性も保たれている。反面、串本町内には大辺路では数少ない石畳道が残る反面、明らかに古道と言えるのに民家の敷地内にあって歩行のかなわない箇所や、平見(すさみ、串本地方特有の海岸段丘の呼称)の上下する坂の部分でほんの一部、旧態を留める古道もあるが連続して歩けないと言う状態にある。 すさみ町では里野の海岸(六坊浜)、見老津〜江須之川間の「スリの浜」など、直接、海岸を歩くようになる箇所もある。串本同様、町道として拡幅された事で古道の連続性には乏しい。 D【その他に分類される箇所】 林道や町道として拡幅工事されている道 E【世界遺産】 前記通り西牟婁郡三坂と新宮市内の高野坂
2、 大辺路に残る信仰の跡 @. 地域的な信仰 A、弘法大師信仰:大辺路特有のものとは言えないが他の熊野参詣道(但し、小辺路を除く)に比較して弘法大師にまつわる信仰が認められる。 例・・大師堂(すさみ町、串本町)伝説(白浜町、すさみ町、串本町)四国八十八箇所本尊安置(串本町有田風吹山)那智勝浦町庄の弘法井戸 B、漁民の信仰:海沿いならば随所にある戎、金毘羅信仰 串本町の重畳山(かさねやま)高野山真言宗の古刹 四国八十八箇所の本尊 C、念仏講:徳本上人の六字名号碑 大辺路特有のものではないが、すさみ町、串本町の街道沿いには六字名号碑が残り、地域の念仏講が盛んであった事がわかる。 例・・すさみ町松の本、串の戸、和深川、串本町和深雨島、安指、田子、高富、白浜町安居 等 A. 修験教団の通行、巡礼に関連する石碑等 ○醍醐寺三宝院門跡の奥駈行の帰路(金谷上人御一代記) 那智山から津荷、古座、串本、有田、江住、周参見、安居、田辺 ○聖護院門跡休憩所跡(新宮市高野坂) ○富田坂の墨文字:富田坂「茶屋の壇」から200m程、日置川寄り 古道沿いの岩壁面60cm四方の範囲に残る。正徳二年、此石は神也、(三十三?)度順禮(南無?)阿弥陀仏、丹後 の文字を認める。 約300年残存したもので地元の富田高瀬地区では既知の存在であったが、場所は特定されていなかった。全文解読出来ず。 ○富田坂の不動明王像・・・修験者が寄進したものか? ○仏坂の不動明王像・・・同上 ○六十六部廻国行者の足跡・・・すさみ町見老津 石碑(安政期) ○上富田町岩崎 不動堂 六十六部廻国塔(天明期) ○大乗妙典の奉納・・・白浜町富田坂「草堂寺」裏 「大乗妙典日本廻国塔」石碑(文政期) ○串本町有田「逢坂峠」大乗妙典塔2基 1基は寛政期、他は宝暦期 ○那智勝浦町「御所の地」付近の水田の畦に「経石」 巡礼の道標 ○那智勝浦町「浜田の巡礼道標」 「大乗妙典六十六部日本廻国」「右志ゆんれい道」宝暦期 地元太田元助建立 ○那智勝浦町浦神峠 石造の台座(40cm高) 地元 浦神 海蔵寺の修行僧による設置? 巡礼の供養碑・・・大辺路には少ない。 ○串本町動鳴気漁港(古座川河口東側)「泉州岡田浦」「太佐新六」 「亥の年女」地蔵尊 巡礼墓石は享保期 ○串本町田原国道42号の道路脇に2基 「玄学信士」「玄道信士」弘化期に建立 ○那智勝浦町「ゆかし潟(汽水湖)」湖畔 「霊場巡拝供養之塔」享和期? ○那智勝浦町小狗子峠より宇久井寄りの大辺路沿い 「防州人」墓碑(天保期)「但馬人」墓碑(年紀不詳) 昨年、付近の墓地に2基とも移転 その他石碑 ○新宮市高野坂に3基 六字名号碑2基(貞享期)、地蔵尊立像(寛文期) 念仏行者に関連するものか?巡礼の供養か? 3、 代表的な交通遺跡(道標、道標地蔵、渡し場等)と景勝地 @、 道標地蔵 ○田辺市新庄町、上富田町境界付近「右ハ 大へち道」 ○すさみ町江須之川 海岸「右わかやま道」 ○すさみ町里野大平見 「右那智山」 ○串本町田並(のうなぎ)「左はわか山道」 ○串本町「串本町海中公園前」「右ハわかやま」 ○串本町鬮野川 「左ハ若山道」 ○串本町姫 澤心坊 「右ハわかやま」 ○串本町田原堂道 「右ハくまのみち」 ○那智勝浦町浦神峠下り「左は大へち」「施主 おみつ」 ○那智勝浦町川関 「右大へ志みち」「左志んくうみち」 A、 道標 ○田辺市北新町 「左りくまの道」「すくハ大へち」「右きみゐ寺」 ○白浜町富田草堂寺前 「手」を彫って指差す方向に「くまのみち」 ○すさみ町長井坂「茶屋の段」「ひだりはくまのみち」角柱型 ○串本町有田「いせみち」角柱型 ○那智勝浦町清水峠付近「左大へち道」「施主 七兵衛、おゆき、与助」 ○那智勝浦町庄「左は大へち道」角柱型 B、 渡し場 ○日置川 「安居の渡し場」 昭和29年まで渡し舟存続。仏坂の世界遺産登録後は地元地区有志によって渡し舟が再開。三宝院門跡一行は舟をつなげて橋の代用として渡る。 ○古座川 原町より対岸の古座漁協近くまで渡し舟。付近の高札場あり。 『紀陽道法記』『熊野案内記』等の記載、渡し賃の徴収。 富田川、太田川、その他小河川は徒歩で渡ったと思われる。 C、 伝馬所、馬次 確実に現存するものはないが、各地で跡地と思われる場所はある。 宇久井、天満、二河、和田、庄、浦神、下田原、津荷、古座、西向、神野川、伊串、姫、鬮野川、二色、二部、有田、田並、江田、田子、和深、里野、江住、見老津、和深川、周参見、安居、富田、朝来 等を中継した。 D、 景勝地 近世の紀行文の通り、優れた海岸線の景観を愛した人も多い。現在も往時と景観は変わらないところが殆ど。 御手洗海岸、鈴島、孔島、佐野の松原(最近、新宮港整備で往年の姿を消す)、白菊の浜、御所の地、ゆかし潟、浦神湾、粉白の浜、荒船の海岸、九龍島、鯛島、紀伊大島、重畳山、潮岬、筆島、双島、里野の親知らず、江須崎島、戎島、沖、陸の黒島(長井坂からの遠望)、馬転坂の展望、稲積島、仏坂からの日置川、富田坂からの白浜、田辺遠望 4、 自然環境 ○天然記念物の指定:江須崎島の暖地性植物群落、稲積島(すさみ町) ○ラムサール条約登録湿地:串本海中公園付近の海岸、潮岬西部海域の一部、通夜島の一部 世界最北の珊瑚群集(約120種の珊瑚が分布) その他、浅海域の生物多様性の評価 ○随所に残る海岸の照葉樹林:海岸美と共に「大辺路」の象徴ともいえる。 宇久井半島、紀伊大島、日置川河口。「豊かな熊野の海」を維持する魚付林。あらゆる生物の宝庫 ○神社林:和深川王子神社(すさみ町和深川)のイチイガシ ○植物関係:豊富なシダ植物 ○昆虫関係:黒潮の流れで南方から漂着、定着したもの(クワガタムシ等) 海岸付近の谷合には北方系の昆虫も分布する複雑な昆虫相 5、 総括 熊野参詣道「大辺路」は核となる古道の残存は僅かであるが、その道筋には多様な信仰、文化の形態が認められ、自然環境にも恵まれている。その海岸線の景観は国内でも比類するものがないと言えるほどである。「陸の孤島」であるが、反面、海外への移住が早くから行われ開放的な文化を持つ地域と言う事も出来るだろう。 6、 調査報告書 現在、公刊されている熊野古道大辺路調査報告書は西牟婁郡域(田辺市〜旧串本町 紀南文化財研究会)東牟婁郡域(新宮市〜旧古座町 熊野歴史研究会)が分冊になっている。大辺路に関しては公的な調査書がこの2種しか出ていない。 公刊されてから、5年以上を経過し、その間で世界遺産登録も行われた事もあり大辺路全域に対する新たな調査による知見も集積されてきた。昨年より、上記、両研究会が県、沿線各町、沿線の古道整備民間団体で組織される「大辺路再生実行委員会」の委託を受け、分冊を1冊にして最新の知見を盛り込んだ新大辺路調査報告書の作成に取り組んでおり、近々、完成し、公刊出来る運びとなっている。 7、 大辺路の課題 @. 残存する古道部分の保護処置⇒法的な保全処置が必要 「熊野参詣道」の連続性維持のため、将来的に、「史跡」登録視野に。 まず、地元自治体(すさみ町、白浜町、串本町、那智勝浦町)の文化財指定を推進せねばならない。 古道周囲の自然景観、特に植生の保全も最重要課題と認識している。 A. 観光面でのソフト充実 「語り部」の育成が急務 本年、田辺〜浜の宮間で14回にわたり、「大辺路語り部講習会」が実施された。 世界遺産の古道、ラムサール条約登録湿地のワイズユーズを推進 自然と触れ合う学習型体験観光の定着 「エコツーリズム」の実践 B. 参詣道の連続性の維持⇒「伊勢路とむすぶ!」 世界遺産の古道も連続性があってこそ、その価値はさらに大きくなる。@、Aを踏まえて三重県の「伊勢路」と結ぶ事は非常に意義の大きい事と考えている。 つながってこそ「道」である。三重県の皆様との更なる連携を構築したい。「国際熊野学会」の皆様の支援もお願い致します。 |
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